グリーティングカードのはじまりの話
 

● カードの歴史

● 季節のカードの楽しみ

● カードの書き方豆知識

● お役立ち情報

 

 

  古代エジプト  

グリーティングカードの足跡をたどると、4,000年前のエジプトに至ります。当時は新年のお祝いにスカラベと呼ばれる護符を贈りました。スカラベとは、古代エジプト人が神聖視していたコガネムシをかたどった宝石のことで、これに「oudja ib k」すなわち「ご多幸をお祈りします」と刻まれることがあったのです。グリーティングカードの遠い祖先です。

  古代ローマ  

帝政時代のローマでも、新年に役人たちは皇帝に贈り物をしました。当初は果物や蜂蜜といった実用品を贈っていましたが、やがて形だけとなり、素焼きの土器のランプ、果物の絵のある粘土の書字板、「新年のお喜び」といった銘入りの花飾りや、角型の飾り物などを贈るようになりました。「来る年が幸せで幸運なものでありますように」と書かれた粘土の彫像や、「元老院とローマ市民は、国家の父ハドリアヌス・アウグストゥス帝に、幸せで幸運な新年をお祈りします」と刻まれた2世紀のメダルなどは、グリーティングカードのもうひとつの先祖と言えるでしょう。

  礼拝画  

中世のドイツでは、新年を祝うのに、“アンダハツ・ビルト”すなわち「礼拝画」が用いられました。描かれたのは決まって幼児キリストで、右の15世紀の木版画では「Ein gut selig Jar」つまり「幸せなよいお年を」と書かれた巻き物を手にしています。年の始まりを祝うのとキリストの生誕を祝うのは、いまだひとつだったのです。こうした版画は家庭用に大量に作られ、中には美しく彩色されるものもありました。

  バレンタイン  

1600年頃に広まり始めたバレンタインカードは、最も由緒正しいグリーティングカードです。豪華なふち取りの厚紙には、甘い愛の詩が美しい書体で書かれて、愛の神キューピッドも描かれました。当時はもっぱら男性が女性へ贈るものでした。バレンタインの起源は、古代ローマで毎年2月15日に催されていたルペルカリア祭です。祭りの間、若者は、くじで引き当てた乙女と一緒に過ごしてもよいことになっていました。教会は、この祭日を、聖バレンタインが殉死した2月14日に移しました。聖バレンタインは、監獄で、看守の娘の目を見えるようにさせたと伝えられています。処刑の前夜、彼はこの娘に手紙を書いて、末尾に「あなたのバレンタインより」と署名しました。

  名刺  

18世紀後半の習慣では、訪問先が留守のとき、当時の発明品であった名刺に時候のあいさつを書いて残しました。こうした名刺は、やがてグリーティングカードへと変形し、オーストリア、ドイツ、フランスで、老若男女の間に流行しました。お金に余裕のある者は、カードをシルクに印刷したり、レースの紙でふち取りをしました。人物像を動かせるような凝ったカードも作られ、恋人の胸の内を開くことができたり、若者が箱を開けるか巻き物を広げるかすると、文字が現れたりしました。

18世紀末にはバレンタインカード用の文例集も出版されました。自分の気持ちに合った韻文を選んで、ただ書き写せばよかったのです。すぐに職業別の文例集も現れました。「レンガ職人から」「医者から」といった中から選べるようになっていました。
  ビーダーマイヤー  

19世紀前半の、いわゆるビーダーマイヤー時代のドイツでは、折り畳み式になった紙が立体的に飛び出したり、レバーを動かすと光景が変わるような、複雑な手法も用いられました。カードの主題も、花、花瓶、庭の野菜や果物でいっぱいの置物、パンやケーキ、鳩、手押し車、駅馬車、3本マストの帆船、若い恋人たち、バラを胸に押し抱く少女などと、多種多様でした。

  クリスマスカード  


ふち飾りを印刷しただけのカードは早くから販売されていましたが、絵と文字が印刷されたクリスマスカードは、1840年代にイギリスで誕生しました。創始者については画家のW.C.T.ドブソンという説があるものの、一般には、王立美術院会員ジョン・C・ホースリーが、ビクトリア・アンド・アルバート美術館の設立者ヘンリー・コールからの依頼を受けて制作したのが始まりとされています。ホースリーのカードはおよそ普通のはがきの大きさで、絵の中央には夕食に集まって祝杯をあげる家族を描き、その左右には貧者への施しというクリスマスの善行を描いています。ツタの巻きついた木の枠組みは、簡単な額縁の役目を果たしています。このカードは、1846年に約1,000枚が堅い厚紙にセピア色で石版印刷され、手で色づけされました。

  その後、1860年代に至るまで、こうした試みが繰り返されることは、ほとんどありませんでした。当時の印刷技術では、製作に高い費用がかかってしまったからです。クリスマスカードが商業として成り立つようになるには、大量生産の時代を待たなければなりませんでした。
  大量生産  

1860年代に印刷技術が長足の進歩を遂げると、低価格なクリスマスカードが量産されるようになります。初めはコマドリやヒイラギなどの単調な絵柄でしたが、70年代以降は、花、子猫、妖精、風景、いなかの家、船など、題材も多様化しました。郵便制度の発達もあいまって、思いつく限りの人々にカードを送るようになりました。

膨大な量のクリスマスカードが作られていると、冬のモチーフだけでは足りなかったようで、季節外れな夏の絵柄も多数ありました。ある出版社の言い訳によると、南半球に輸出しているから、ということでした。
  アメリカ  

アメリカでは、1840年代にマサチューセッツ州のエスター・ホランドという若い女性によって、初めてカード製作会社が設立されました。バレンタインカードに魅せられた彼女は、装飾に使うレースの紙などを輸入して手作りカードを始め、流れ作業にのせました。「アメリカのグリーティングカードの父」と呼ばれるルイス・プラングは、ドイツからの移民で、1874年にクリスマスカードを作ってイギリスへ輸出し、翌年には国内での販売も始めました。亜鉛板を利用した印刷が高く評価されたそうです。

  様々なカード  

誕生日のカードは、19世紀半ばにイギリスとアメリカで、わずかながら発行されました。当時は花や景色などの簡素な絵柄が多く、バレンタインカードと同じ版で字句を変えて印刷しただけでした。1885年から95年頃にかけては、絹のへり飾りの付いたものが広まりました。
イースターのカードは、1862年以降にイギリスで使用されるようになりました。初期には紫と銀という宗教的な色だけが使われました。アメリカでは1906年頃に、ルイス・プラングが発行しました。うさぎ、ひよこ、たまごなどの絵柄が現れる以前は、美しい花の絵を背景に"Easter Greetings"といった字句が印刷されていました。
ハロウィーンのカードは、1910年頃から20年頃にかけて、特に商店の宣伝のために数多く作られました。ハロウィーンは、古代ケルト人の暦で大晦日にあたり、この夜は魔女や精霊が浮かれ騒ぐと言います。彼らを欺いて追い払うために、不気味な格好や飾り付けをするのです。
母の日のカードは、1912年頃に登場しました。母の日がまだあまり知られていなかった当時は、売れ残った場合にそなえて「母の日」とは印刷しませんでした。一方、父の日のカードは、1920年代までに一般的となりました。父親に宛てた最も古いカードは、古代バビロニアのもので、健康と長寿を祈った粘土板の手紙が発掘されています。

  世界大戦  

20世紀になると、安価なポストカードの影響で、グリーティングカードは次第に衰退してゆきました。しかし、第1次世界大戦の勃発で家族同士が離ればなれになると、逆にかつてないほど需要が高まりました。第2次世界大戦の初めにも、クリスマスカードが禁止されたことがありましたが、すぐに当局は、クリスマスカードが精神的に「戦果に不可欠」と考え、限られた紙の使用を許可しました。

  現代  

大戦後は、ユーモアのあるグリーティングカードが台頭してきました。1950年代の半ばには、風刺的でおどけたようなカードが現れ、形式にこだわらない人々の態度を映し出しました。60年代になるとスヌーピーのカードが一世を風靡しました。こうした現代的なカードはますます広まりつつあり、グリーティングカードの大きな発展の象徴となっています。


主要参考文献:

  L.D.Ettlinger, R.G.Holloway. Compliments of the Season. Penguin Books.
  Graham Nown. The Story of the Greeting Card. Cartmell Public Relations.
  Bryan Putman. "Greeting Cards." Encyclopedia Americana.
  Jeannette Lee. "Greeting Cards." The New Book of Knowledge.
  福田節子 『クラシックグリーティングカード』、グラフィック社。
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